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レトロな坂道のある町にやって来た。 800年ほど前から海運業で栄えた町、小京都(尾道)の「高須の家」。 さて、この「高須の家」がどのように甦るのであろうか? |
今回は離れの再生、築90年は、経っているであろうか? 実はこの家、道路の石垣に面し、軒先は道路に飛び出していた。 このままでは、再生も出来ず、西に1Mほど移動することにした。 車も人も通るため、かなり神経を使う再生になりそうだ。 胃薬を飲みながら再生することにした。 |
離れの中に入り納屋となっている屋根裏を見る。 大きな松の曲りくねった梁が何本も使われている。 移動には、神経を使うが、内部を見ると面白い離れになりそうな気がする。 この時、「高須の家」は、再生が始まるのを静かに待っていた。 |
解体が始まった。 この離れにどれだけの歴史があり、どれだけの人達の思い出が篭っているのであろうか? そんなことを考えながら、床が剥がれ、壁が抜かれ、天井が落とされて行く。 残酷なことかも知れないが、これもこの家の歴史の一つかも知れない。 |
そんなことを考えているうちに解体も終わった。 何となく、思い出が無くなると、離れも軽く見えるのは、私だけであろうか? 解体工事は、1期と2期に分けられた。 1期は、歴史と思い出の篭った1階部分、2期の道路面と2階部分は、安全を確保するため家を曳いてから行うことにした。 |
いよいよ家曳きの準備が始まり、沢山の30トンジャッキや鉄骨と枕木が運び込まれた。 鉄骨で既存の柱が動かないように挟み込み、東西南北に固定していく。 この固定を頑丈にしないと、持ち上げることも曳くことも出来ない。 |
全ての柱が固定され、家が持ち上がり、いよいよ「高須の家」が動き始めた。 車に付けられウインチからワイヤーが伸び、鉄骨を引いて行く。 地面に敷かれた枕木の上を沢山のコロが回り、ゆっくりと引かれて行く。 辺りが静まり返った緊張の瞬間である。メキメキと音を発て少しづつ、東から西へ動いて行った。 |
寸分の狂いも無く予定の位置で止められ、1メートル程持ち上げられた所で家曳きは、無事終わった。 道路に面した離れは西に動き、現代の母屋と、古民家の離れが寄り添った形になった。 これで、本格的に再生へ進むと思ったら、少しだけ?胃が楽になった。 |
だが!一息付く間も無く基礎工事が始まる。 持ち上げられた離れの下に重機が入り、何十年も眠り続けた土を、今掘り起こす。 先人達が、幾度となく踏み締めた土は、重機で掘るのも固く、歴史を感じた。 |
踏み締められた土が漉き取られ、防湿シートの上に鉄筋が組まれ、離れの中に何かが入り込んだ。 これは、コンクリートを流すポンプ車のホースだった。 これを、竜に例えるならば・・・竜の口から何かが出され、その何かは、先人達の踏み締めた土よりも固くなり、今以上に離れを力強く支えて行く。 私はこの瞬間、離れが甦る第一歩を見た。 |
基礎が完成した。家を曳き、何十日もの間持ち上げられていた離れは、1ミリの狂いも無く無事基礎の上に降ろされた。 柱を固定していた沢山の鉄骨が緩められ、離れの中から取り除かれて行く。 固く挟まれていた鉄骨が無くなった時、少し強張っていた離れの表情も和らいだように見えた。 |
離れが西に移動し、道路より1メートル離れたところで、人と車の安全を確認しながら、いよいよ第2期の解体が始まった。 これで、離れの全ての壁が取り除かれ、古い柱が表しになった。 |
解体が終わると、屋根工事が始まる。 空高く伸びたレッカーのブーム、まるで天から降りたクモの糸のように、ワイヤーが吊るされる。 瓦は、一枚一枚手作業で剥され、瓦の下の土も人力で、箱に入れて降ろされた。 機械の無い時代に、先人達が何日も掛け苦労して葺いたのであろうが、剥すのはあっけないものである。 |
古い瓦と土が降ろされると、大工さんが後を追うように屋根地を直す。 何十年も瓦と土を支えていた屋根地も長い年月でかなり傷んでいた。 昔の家は、見た目以上に勾配もきつく、新しい屋根板を打つ大工さんの足元にも力が入る。 |
屋根地も綺麗に直り、瓦屋さんが瓦を葺く。 この瓦は石州瓦のいぶし色で、古民家に合う深みのある色の瓦だ。 今まで、雨風を凌いで来た古い瓦から、新しい石州瓦に代わり、これから先何十年何百年と雨風から「高須の家」を守ってくれるであろう。 |
屋根工事も無事終わった。 雨の心配もなくなり、いよいよ大工さんの造作工事が始まった。 新築工事とは違い大工さんの腕の見せどころが沢山出てくる。 古い柱に並び、新しい間取りに合わせた檜柱が次々と建てられ補強されて行く。 |
大工さんが柱を入れ、抜き板を入れ終わると、左官さんが竹で小舞を組み始めた。 平に割った竹を縦横に麻縄で一本一本丁寧に組んで行く。 今では、土壁の仕事も無くなり、小舞を組める腕持った職人も少なくなった。 |
高須の家に練られた土が到着した。 その土を左官さんが運び込み、先ほどまで組んでいた小舞に土を塗り始めた。 現場に練った土を置き、濡れて重い土を鏝板(コテ板)に載せ小舞に土を塗る。 これもまた珍しい光景となった。 |
小舞に荒壁が塗られると、大工さんが床を張り始めた。 床板には、杉のフローリングが張られる。 新建材とは違い、厚さが30ミリもあり、夏は涼しく感じ冬暖かいフローリングである。 |
吹き抜けに足場が組まれ、杉板が天井に張られる。 昔の梁と母屋を表しにした、屋根勾配なりの天井である。 曲がった母屋を表しにするため、大工さんが杉板を一枚一枚削り合せ隙間無く張って行く。 |
杉の天井板と母屋、そして大きな曲がった梁に柿渋を塗る。 科学塗料は一切使わず柿渋だけを塗る。 色は、付かないが日が経つにつれ古色を出す。 |
内部の造作も大体終わり、左官さんが仕上の前の中塗りをする。 この中塗りで仕上がりも変わる為、左官さんの鏝も慎重に動いていた。 中塗りが塗り終わると、風通しを良くし乾くのを待つ。 |
そして、外に出て見ると小舞を組み、荒壁を塗った上に大工さんが下地をして焼き板を張っていた。
板を張るのは、2階の壁と1階の腰壁である。 この杉の焼き板でこれから先、雨風から高須の家が守られる。 |
雨風から高須の家を守る壁がもう一つあった。 それは、漆喰壁である。 外壁の漆喰には、少し植物性の油を混ぜるため雨が当っても弾く効果がある。 軒裏の湾曲(わんきょく)した壁も 左官さんが手に持たれた鏝一つで波一つ無い壁に仕上がって行く。 おやっ!?一ヶ所土壁のままになっているところは・・・? |
そうです!その壁は、なまこ壁に仕上げられていたのです。 これもまた、左官さんの手に握られた小さな鏝一つで バランスの取れた丸いなまこ壁が作られて行くのです。 機械を使える訳も無く、丸いなまこ壁一点を見詰め鏝を動かす根気のいる仕事です。 なまこ壁が作れる職人さんも少なくなり、伝統芸術と言っても良いかと思う。 |
外部の木部にベンガラが塗られる。 薬品を配合せず、外部からの水分の浸透を防ぎ、木の防腐効果がある。 そして、木肌に浸透し害虫も嫌い、防虫効果も発揮してくれる。 90年余り雨風に晒され、白けた高須の木部もベンガラで引締まって見えて来た。 |
外部の仕上りも大詰めです。 家の周りに、長石が縁石として敷かれてます。 この長石、今まで何十年もの間、高須の家を基礎として支えていた道路に面した東面の長石です。 家が動き、新しい基礎が出来ては、用事の無くなった石です。 これからは、基礎としてではなく、高須の家全体を見守り支えて行く事であろう。 |
玄関にタイルが張られている。 古民家にマッチした黒っぽい玄昌石風のタイルである。 30センチ角もあるたいるを、一枚一枚ゴムの槌で下地に馴染ませ、レベルを整え、丁寧に張るタイル屋さんの表情も真剣だ。 |
内部の中塗りも乾き、いよいよ壁の仕上が塗り始められた。 仕上の材料は、藁入りの珪藻土である。 珪藻土が体に良いのは勿論のこと、珪藻土が塗られて行くと、古材の梁と柱が生き返って行くかのように浮き上って見えて来た。 |
仕上の珪藻土が塗られていると、外はなぜか慌しい。 見ると古民家の職人さんとは思えない人達が、沢山集まっていた。 そして、赤い大きな物体がトラックから降ろされ、何枚もの鉄板が敷かれた上を、沢山の人達の手が掛けられ、高須の家の中を奥へ奥へと移動する。 一体この大きな物体は、何であろうか?少しの間眺めて見る事にした。 |
赤い物体は運ばれ、吹抜けの大きな梁に吊るされて立ち上がった。 その姿を見ると!鉄で作られた大きな螺旋階段だった。 赤い色は錆止めの色だが、この階段がどのように変身し、どのように高須の家に溶け込むのであろうか? それは、もう少し後のお楽しみにしょう。 |
壁も仕上がり、照明器具も取付られて、建具と共に2階吹抜けの手摺が取付られた。 平凡な縦格子とは違い、縦横に組まれた組子の格子が吹抜けの手摺を引き立たせる。 これで、全ての工事が終わった。 これから、仕上がりを皆さんと、見て回りたいと思います。 |
リビングから対面キッチンを見る。 地松のカウンターに腰は杉板を張る。 右端に見えるカウンターを支える柱は、この家の納屋に使われていた栗の柱だ。 このカウンターでコーヒーでも飲みながら高須の家を語るのであろうか? |
トイレの横にある手洗いを設ける。 給水だけのシンプルな物だが、手洗い器は、平安時代から窯業地として名高い常滑の焼き物、柿渋を塗ったカウンターの上に何気なく置かれるのも悪くない。 |
1階リビングから吹抜けを見上げる。 吹抜けの天井から下がる大きな照明に、地松の曲がった梁が沢山照らされ、浮き上って見える。 この家を造った先人達も、このように甦るとは思いもしなかったであろう。 |
1階リビングから2階に上がる階段を見る。 そうです!沢山の鉄板を敷き、多くの人の手を掛けられて運び込まれた、あの赤い物体だったのです。 古民家に木製の階段も普通で悪くないが、この大きくて広いリビングにシルバーの鮮やかな螺旋階段を設けることで、暗くなりがちの古民家もどこか明るさを取り戻したかのように見える。 |
もう一度再生前の東面の写真を見てみる。 瓦はずれ、軒裏の土も落ち、焼き板ははがれ始めていた「高須の家」 |
道路に面し、軒先が道路に飛び出た「高須の家」も西に移動し、ご覧の通り真っ白い塀に囲まれた民家に再生された。 これで、道路を通る人や車を心配することなく民家生活が楽しめる。 再生前と大きさは、あまり変わっていないが、この姿を見て何倍も大きく見えたのは、私だけであろうか? |
庭先から軒下を見る。 古い柱と梁にはベンガラが塗られ、壁は真っ白な漆喰に黒の焼き杉の板。 中央に見えるのが、建物の中から伸びている象鼻の大きく反った梁だ。 この数々の大きな梁に支えられ「高須の家」が生き延び、この数々の大きな梁に支えられ「高須の家」は、甦り生きて行く。 |
再生前の南面を見る。 この時「高須の家」は、再生の話しがあるとも知らず、ごく普通に建っていた。 |
そして、着工から一年が経ち、長い再生工事も終わった。 同じく南面から再生後の「高須の家」を見る。 再生前に比べて、重みと品格のある家へと生まれ変わった。 これからどのように、この離れが使いこなされるのかは解らないが、築90年の民家に新しい息を吹きかけられ、100年200年とこの土地で引き継がれて行って欲しいものである。 |
この家の番犬「金太」も喜んで、見送ってくれた。 |