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それは、蝋梅の咲く寒い季節から始まった。 |
今回の「能登原の家」約63坪 いつもより日々と時間がかかりそうだ。 |
この家は、築80年の家、その骨組に使われてあるのは、それ以前に建てられていた茅葺民家の黒くて太い梁がたくさん再生利用されていた 。昔は、再生利用が盛んだったと聞くが? そうなるといったい築何年になるのか? |
屋根裏に上がるとやはり80年前の太い梁と茅葺時代の太くて黒い梁が交差しているのが解かる。 |
この能登原の民家がどのように再生されるのであろうか? |
これは、ここのご主人の希望でもあるが解体の前に再生に使う、畳・座板・建具・敷居などが大工さんの手により綺麗にはずされて行く。 |
今まで煮炊きに使われていたクド。 これは、残念ながら今回の再生工事で姿をけしてしまうことに・・・。 |
柱には、養生がされ、いよいよ解体工事が始まった・・・。 |
柱の根元を固定された梁が見える。これも80年前に再生利用されていた。 手前の左右に見える大きな穴昔はどこの家の座の下にあった芋壷。 この家のおばあさんが言っていました「私らはね~この中の芋で息をつないでいたんですよ」 |
解体工事は、全て手作業で約2週間かかった。 一階の壁は無くなり長石の上に乗った柱だけ表から裏、家の四方が見渡せるようになった。 |
解体が終わると基礎工事であるがその前にこの民家を持ち上げないと基礎は出来ない。 一階の全ての柱を鉄骨で固定して持ち上げる。 この仕事も人力作業、職人さん達の息が合わないと出来ない仕事である。 |
持ち上げるまでの日々は、約一週間固定した鉄骨を20トンジャッキ数十個使い少しずつ持ち上げられた。 今回の持ち上げ高さは、1m20cm次々と枕木をジャッキにかませながら上げられた。 |
家の持ち上げ作業が終わるといよいよ基礎工事の始まりだ。 今まで基礎となっていた長石は全て取り除かれた。 持ち上げた家の下で作業するため機械は入らず全て手作業となる。 |
今回の基礎工事は、能登原のご主人の希望で家の表は、今まで使われていた長石を使用することになった。 しかし、先人たちは、この作業を全て人力でしていたとは信じられない重くて辛い作業である。 |
長石が据えられると整地をし栗石を敷き詰め防湿シートを敷く。 その上に鉄筋を格子状に配筋しいよいよコンクリート打ちの始まり、ポンプ車の長くて太いホースがまるでこの家を守る蛇のように持ち上げられた民家の下を這い回る。 |
コンクリートを打ち終わり数日間養生する。 一段一段枕木が外され持ち上げられていた能登原の家がメキメキと音をたてながら地面へと近づいて行く。 |
数十日持ち上げられていた家がついに地面に着いた。 これから土間のコンクリートと柱を金物で固定しながら増築工事に掛かる。 |
増築工事は、ここのご主人が古材の丸太を探して来られたのでそれをたくさん利用して増築する。 |
増築が終わる頃、瓦の葺替が始まる 。レッカーが運んで来た鉄の箱に全て人力で瓦と土を入れる。そしてその箱は何度も宙を舞い瓦降ろしが終わる。 今回の降ろした瓦はここのご主人が再生で色々利用されるので処分することはなかった。 |
古い瓦と土が降ろされ土埃も取り除かれ屋根裏の骨組みが全て見える。 休憩の間も無く杉の屋根板が打たれて行く。 |
素早く屋根板が打たれ瓦が葺かれる。瓦は石州瓦・・・何とも言えない奥深いイブシ色で能登原の家が以前よりどっしりとしてみえた。 |
いよいよ内部の造作の始まりだ! まずは2階の造作、大きな曲がりくねった梁がたくさん組み重なっている。 築80年だが良く見ると2階の梁は再生してある 。80年前も再生していたのだ! この大きな梁は一体何百年前のものであろうか? |
80年前の建舞(上棟式)の時棟木に飾られた扇子と釘で止められた古銭が残っていた。古銭を良く見ると寛永通寶が・・・ 80年前の上棟の喜びの声が聞こえて来た 。これはこのまま置いて再生することにした。 |
天井が屋根なりの勾配で張り始められた。 断熱材を中に入れ杉板を丸太に合わせて削り大工さんの手で一枚一枚丁寧に張られて行った。 |
数日間掛かり杉板が張られヌキ板が入った。 左官さんの手によりシロ縄で小舞がくまれた。 |
家中の壁に小舞が組まれ土壁の下塗りが始まった 。土壁は裏表塗り、小舞を両面から包み込むこの土が乾くとビクともしない頑丈な壁となる。 |
外壁を見ると土壁の中塗りが終わり仕上げの漆喰が塗られている 。この漆喰壁は中塗り土があまり乾かないうちに塗らないと綺麗に仕上げられない。 (内部の漆喰壁に関しても同じである) |
突然ですが能登原の家に家族が増えました。 それは・・・丸々と可愛い仔犬 足も太く力強そうなとこから名前は「リキ(力)」になりました 。この「リキ」が来て現場も明るくなりました。 犬は一年で成犬になります。 能登原の家が完成する頃は「リキ」も立派な成犬になっているでしょう。 |
中に戻ると一階の床が張られています 。床下の木には全て柿渋が塗られ厚みが30ミリある杉のフローリングを張るその下に敷かれている黒い物? それは竹墨!能登原のご主人が窯を作り自分で焼かれたものでした。これを床下全面に敷き詰められ床が張られて行きました。 |
玄関の床も張られています。 何やら大工さんが真剣な表情で。それもそのはず玄関框も床板も全て欅なのです。 この欅も能登原のご主人が拘って買われたもの大工さんの腕の見せ所です。 |
玄関の床が終わると次は階段を材料は全て地松。玄関を入って突き当たりの回り階段、壁も無く全て見えるのでここでも大工さんの・・・。 |
広縁の床が張られる。この板は以前縁側に張られていた欅の板だ・・・。 ご主人の希望で再利用する昔のシミがたくさんあるが柿渋を塗ると深みのある色になる。 ご主人はこの板に思い出が染込んでいるに違い無い。 |
古い梁には菜種油を塗り古色の色を取り戻し新材には昔のベンガラ色の柱に合わせ柿渋とベンガラの入った塗料が塗られる。 |
中塗りも終わりあまり乾かないうちに漆喰仕上げをする 。漆喰塗りは薄く塗りコテ跡が出やすい為腕の良い職人でないと綺麗に仕上がらない。 |
次は床の間の壁の仕上げだ。漆喰の中にベンガラを入れベンガラ漆喰を作る。漆喰とベンガラの配合が難しく乾いた時の色を予想する。 乾く前は真っ赤な色だが乾くにつれ赤色も薄く落ち着いたベンガラ漆喰となる。 |
玄関に出てみるとタイルが張られている。 玄昌石風のタイル古民家に合うタイルで仕上がりが楽しみだ。 |
そして玄関の外では杉板が張られる 。鎧張りと言って杉板を横に重ねて張り板が浮き上がらないよう桟で押さえる。 |
奥の間に入る。そこは囲炉裏の間 。囲炉裏の框の中に耐火煉瓦が積まれその上には中塗り土が塗られ乾いたら漆喰が仕上げられる 。囲炉裏に火を入れる時割れが来やすいので急激な乾燥をもさせずに乾かすのがコツ |
木工事と左官工事も終わり器具付け 。吹き抜けの天井には照明器具とプロペラファンが取付られた。 |
建具が次々と切り嵌めされる。 建具は全て杉で作られた。 そして杉の建具には全て柿渋が塗られ日が経つにつれて何とも言えない深みのある色となる。 |
全ての工事が終わった。 玄関から 奥えと見て回ることに・・・ 。玄関外は鎧張りの壁に和紙風のガラスが嵌った杉の組子ガラス戸ランマは当然杉の千本格子が嵌められている。 |
玄関に入り漆喰の壁には丸窓があり、柿渋が塗られた欅の框とフローリング玄関先をとても上品に見せている。 |
玄関の中は床板が取払われ二階の屋根裏まで見える吹き抜けになった 。大工さんが一段一段丁寧に掛けた階段と昔のままの大きな梁が見事である。 |
玄関から奥に入ると食堂とキッチンが目に入る 。これは能登原の奥様がプランニングされたもの。 とてもスッキリと使いやすく考えてある。 中央のカウンターの支え柱はこの家に使われていた栗の柱を再生したもの。 |
食堂から見上げるとなんとここも吹き抜け。 屋根裏は柿渋を塗った杉板の天井が広がり能登原のご主人が磨かれた昔の梁が右(みぎ)左(ひだり)と交差している。 |
食堂の並びには囲炉裏の間 。囲炉裏の框はこの家に使われていた栗の柱が使われている。 |
床の間のベンガラ漆喰 。一見ベンガラの赤は派手に思えるが 深みのある渋い色に仕上がる。 |
2階に上がり吹き抜けから食堂を見る。 黒い柱に黒い梁そして漆喰・・・ 。古民家でないと表せない吹き抜けだ。 梁に付く碍子が見える・・・。 能登原の家は全て碍子配線されている |
外部を見て再生の完了とすることにする 。再生前の面影を残しながら 見事に再生。 |
80年歴史を歩み、そして今、甦った! 歴史の貫禄を持ちながら 生まれ変わっても先人達の温もりを持つ 「能登原の家」 いつまでも後の世に生き続けて欲しい。 |
「能登原の家」が甦った年、力(リキ)も やって来た。 これから力(リキ)も「能登原の家」を 守り続けて欲しい。 |